『印鑑』は親の仇ですか?
売買契約書、賃貸借契約書、重要事項説明書には、宅建業者(会社)の社印+宅地建物取引士の個人印+売主・買主の個人印(通常実印を使う場合が多い)、賃貸の場合はそれぞれ貸主・借主の『印鑑』を押します。
割印を押したりもします。
売買の場合は、所有権移転の書類を法務局に出しますが、これも実印を使います。
他にも、賃貸契約の場合、家賃保証会社の契約書に振込口座または引落口座の銀行印なども押します。
『印鑑』をつぎからつぎに押していきますので、押しているご本人もいったいこれはどういう書類なのかよく分からないなんてことは当たり前の如く契約作業は進行していきます。
コロナ禍の経済対策で、定額給付金や持続化給付金、各種補助金など手続き後、いったい何時になったら手元に届くのか分からない位に時間が掛かって、日本国の事務処理って凄く遅れているんだということがよく理解できました。
ということで、菅総理や河野大臣は、『印鑑』文化を見直さないといけないと言い出して、まるで『印鑑』を親の仇みたいに抹殺しようとする勢いであります。
不動産の取引に『印鑑』は必須です。
契約行為は、契約の当事者の意思の合致により“成立”するもので、書面の作成や押印は必要要件ではありません。
だったら、契約書という文書や当事者の押印は何故必要だとされているのか?
契約書という書類・文章は、合意内容を記録として残して、後になって「それは違う」というトラブルを防ぐために作成するものです。
その記録文章に当事者や仲介業者が『印鑑』をつくのは、その本人の意思により『印鑑』を押したことによる証拠とするためだと考えられます。
押印された文章は、その押印が本人の意思によって行われたという事実を証明しているということになります。
一種の「セキュリテー」なのです。
大きな会社や役所で、担当者⇒係長⇒課長⇒部長⇒取締役⇒代表取締役という風にひとつの文章を何人にも渡って決済を取り作業は確かに時間が掛かりますので、確かに非効率です。
不動産の契約行為に伴う署名・押印は手間が掛かりますが、先の大きな組織のように時間の掛かるものではありません。
大きな組織の当事者が、契約自体の決済をとるのに時間が掛かることはその組織の問題として、売買契約の押印に要する手間暇とは別の次元の話です。
わたし自身は、不動産の取引に『印鑑』を押す行為は廃止しなくても全く問題はないように思うのですが・・・如何でしょうか?
かつての「クールビズ」⇒「ネクタイ」廃止論みたいに、「デジタル化」⇒『印鑑』廃止論が進んで行くのを横目で眺めておりますと、行政の効率化アップって本当はなにをすべきなのかという話を逸らすような感じもしてます。
”はんこ屋さん”、これからも頑張って下さい!!
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